筑波研究学園都市地名攷

筑波研究学園都市 研究学園地区の字の由来などのまとめとか考察とか。以前からちまちま調べていて書きためていたものですが、出典とかをメモしてなかったのでただの怪文書です。いつか裏をとったりしたい。
今回の対象は研究学園地区(国の計画によって建設されたエリア)で、周辺開発地区(それ以外)は対象としません。すなわち「花室」「大曽根」「手代木」などの旧集落や「桜」「東光台」「研究学園」(←紛らわしすぎだろ)など研究学園都市建設以降に開発されたエリアは含まれません。こちらもいつかまとめたい。

(2016/11/30) 久しぶりに読んだら文章が変なところがあったのでちょっと修正

概要

研究学園地区の地名には「旧字・町名・集落名・通称地名を採用したもの」「付近の伝承や寺社名などの民俗から採ったもの」「方角地名」「合成地名」に大別される。また、当時あった「大字○○」という冠称を削除する、「○○町」などの冠称や「○○△△」といった複合地名の形を取らないという方針があったことが伺える。また、旧町村を跨る地名の境界は旧町村境をほぼ踏襲し直線的に整理している。

筑波地区

上沢

大字水守字上沢から。字上沢は隣接する現・大穂にも跨っていたとみられる。また、大穂側に三等三角点「上沢」がある。なお、大穂との境界は現在は緯線にほぼ並行だが、旧町境は北西から南東に走っていた。

大穂地区

大穂

旧町名から。市制以前は上原で、谷田部町に同名の大字があったため改称した。こちらは大字前野字上原からで、これも北隣の現・上沢に跨っていた模様。

立原

未詳。旧字に大字蓮沼字原・大字篠崎字原山が、付近にも「原」地名が多くあり、また大字大曾根字タテタシ(漢字表記では「立出し」か)があることから、これらを合わせたものと思われる。ただし読みは「たてはら」ではなく「たちはら」。

南原

未詳。こちらも旧字に大字要元上口堀字西原・大字蓮沼字台/原山/原/桑原・大字篠崎字原山があり、これらの「原」地名から、あるいは大穂町全体から見て南に位置することから名付けられたものと思われる。

花畑

3丁目の現・花畑近隣公園に花畑城跡があり、旧字にも大字玉取字花畑がある。

西沢

未詳。旧字に大字要元南口堀字西原・大字東平塚字西原が、また区域外に大字要元弥平太字本沢があり、その合成、あるいは「本沢の西」からか。なお、北郷の西側外縁の道路が「本沢」という字として不自然に独立している。

豊里地区

旧旭村から。

桜地区

天王台

近隣にある一ノ矢八坂神社、通称「一ノ矢天王」から。

追記 (2014/04/20): 筑波大学新聞313号によると、『この(祇園祭の)時、仮屋を建て、神輿(天王様)を奉納したのが現在の天王台1丁目付近であったことから』とのこと。

天久保

大字妻木字天久保から。字天久保は現在の筑波大学5C棟付近にあたり、当時の論文に大学の住所として載っているものも見当たる。旧集落に松美開拓集落が現在の3丁目にあり「松美」の名は何故か採用されていないが、大学構内の松美池・松美橋に名を残している。2丁目の筑波大学医学地区は大半が旧谷田部町にあたる。

吾妻

妻木集落に「吾妻さま」信仰があり、旧字にも区域外に大字妻木字吾妻下があるほか、妻木神社の境内社として吾妻神社がある。日本武尊の神話と同根のものか。

竹園

竹園開拓集落より。

千現

倉掛の千現塚(富士山)から。江戸時代、倉掛村・花室村と小野崎村の間にあった秣場争いがあり、倉掛の住民は富士山浅間神社に祈願。勝訴の後に当地に塚を築き浅間(せんげん)神社を祀ったという。現在ではその争いの地も学園都市の下である。

並木

大字大角豆字並木から。

梅園

梅里開拓集落より。里が園に変更された理由は不明。

谷田部地区

北郷

未詳。旧谷田部町の北部に位置するからか。なお北郷の西半分は旧大穂町にあたる。

西原

旧字に大字西平塚字西原・大字東平塚字西原があるが、字西原は要・苅間・西岡・山中にもみられ、また交差点名に「西原南」(現・研究学園西)があることから、実際には広範囲にわたる通称地名だったと思われる。

追記 (2016/11/30): 現在は交差点名「西原」(新都市中央通り、研究学園2・3丁目)および公園名「西原公園」(学園の森2丁目)にも名を残す。

八幡台

大字柳橋字八幡台から。

春日

大字東平塚字春日/春日谷・大字苅間字春日から。苅間の北の御林を春日原といったという。

東新井

大字小野崎の旧新井集落から。東は谷田部町大字新井と区別するためと思われる。地区内には旧集落の道路を残した不規則的な街区がみられる。

二の宮

江戸時代、二宮尊徳の指導で洞峰沼から小野崎村に用水路を掘ったが失敗したという「尊徳の馬鹿堀」の伝承から。

小野川

旧小野川村から、あるいは付近を流れる小野川から。

松代

近隣の松野木集落および手代木集落より一字ずつ採ったもの。

大わし

手代木の大鷲神社から。ひらがな表記は当時の常用・人名用漢字に「鷲」が収録されていなかったからか。なお大鷲神社は「おおとり」と読むものが多いが当社は「おおわし」。農業の神様であり、大わしとはやや離れているが、農業系の研究所が所在する地名にしては最適かもしれない。

藤本

大字上横場字藤原/本郷地・大字榎戸字本郷地があり、これらから一字ずつ採ったものか。

観音台

近隣の羽成観音普賢院から。なお当地は布袋集落→谷田部海軍飛行場→農場集落→研究学園都市と変遷している。

長峰

大字西大沼・上原・館野にあった字長峰から。当地には研究学園都市建設以前から高層気象台があった。

谷田部町の東端にあることから。合併後もつくば市東のままであるためわかりにくい。

稲荷前

現・赤塚公園内の稲荷神社から。研究学園地区内唯一の神社である。

高野台

旧字に大字館野字高野山・大字谷田部字鷹野原・大字下横場字鷹野があり、「たかの」を「こうや」と読み替えたものか。

茎崎地区

牧園

未詳。

池の台

未詳。隣接する低湿地はもともと池であった様子。

松の里

未詳。もともと開発前はアカマツに覆われていたのはここに限ったことではないが、森林研に因んでいるとも考えられる。

西の沢

未詳。稲荷川の西側に位置することからか。

若葉

大字の若栗と羽成を一字ずつ採り、字を変えたものと思われる。