筑波研究学園都市風水攷

今年の妄想は今年のうちに……

2013年は筑波研究学園都市50周年という節目の年だった。
筑波研究学園都市には、東西南北の入り口に「都市ゲート」と呼ばれるモニュメントがあって、それぞれ四神に見立てた四色(すなわち、東に青、南に朱、西に白、北に玄)が配色されており、よくこれを取り上げて「筑波は風水に守られた街」ということがある。*1 *2 一方「筑波の風水はよくない」という話もあるので、都市ゲートがそれをなんとかして補っているのかもしれない。
そもそも筑波は国家の一大プロジェクトであったが地元の反発を受けて計画を大きく縮小せざるを得なかったという経緯があるので、もしそういう呪術的なものに基づく街づくりを構想していたけど結果的にそれが不可能だったというのなら大いに有りうる。
これはひょっとしてそういう系の名残的なアレなのでは、と思える点をいくつかでっち上げたがいくつかあったのでメモしておく。もちろん僕は風水のことなど何も知らないんでしっちゃかめっちゃかなことを書いているに違いないことを保証する。

東京からの相対的位置

筑波は東京の過密対策を目的として、一部官庁の移転のために富士・赤城・那須・筑波の候補から選定された。しかし、閣議了解の際には、第一の目的に「科学技術の振興と高等教育の充実」が取って代わり、研究学園都市と名を変えた。
筑波は東京の北東であり鬼門であるが、北東は同時に「教育・知識・学業」の方位であるともいう。湯島聖堂江戸城の北東にある。
背景として「移転候補に研究・教育施設の名が多く挙がったので相応しい方角の筑波に決めた」または「地理的に筑波が優れていたのでその方位にふさわしい機関を移転候補に挙げた」というシナリオは十分に考えられる。

四神相応

有名な山川道沢説に従えば、北に筑波山、東に桜川、西に国道294号線、南に牛久沼が当てはまる。東と西は厳しいかもしれないが、盆地になっていないという点を除けば背山臨水の原則には即している。
4つの移転先候補、富士・赤城・那須・筑波のうち、富士山麓を同時期に定められた首都圏整備法の定める範囲内である山梨県側と考えると、どれもいい線をいっているようだが、やはり適地は筑波なのではないかと思える。
まあ、いろいろ調べるとおかしいのはすぐわかるが、本当に良い土地なら既に街ができているだろうし、条件が2つ揃っているだけでも験担ぎくらいには丁度良い。

筑波山からの相対的位置

中心市街地は女体山山頂の真南に位置する。既存集落を避け町村の境界地帯を開発しているので、用地は北北西から南南東に細長く、碁盤の目を経緯線に平行に設けることはそもそも困難だったと思われるが、東新井の一帯だけは旧集落を飲み込んでしまっているのは、どうしても中心市街地をここに置きたかったからではないだろうか。
ついでに男体山の真南は筑波大学、宝篋山の真南は産総研の中心部。
そして北大通り・中央通り・土浦学園線・南大通りは、夏至の日の出・冬至の日没の方角と平行。ただの偶然っぽい。

土地の由緒

なにより諾冊二尊(というかまさに陰陽だしそれだけで風水っぽい)が御座す筑波山があり筑波山神社があり、神皇正統記が著された小田城址もあり、いろいろあるし国運を賭すにはなんだかんだでふさわしい土地なのかもしれんと思うが、その話はなんか関係ない気がするのでいいや。
しかし、牛久沼の手前までの広い範囲の都市に筑波という名を冠したのは、言霊がどうとまでは言わないまでも、それなりの思いがあったのだろうなーという気がする。まあむしろそれ以外に何て名付けるよ、という部分もあるが……

発端

僕の適当な発言と、それに対するtmorio先生のリプライ。

あと前回の『地名攷』も含め、全体的にいそべさとし氏の古典的名著『筑波研究学園都市のなぞ』リスペクト。